財政モニター
財政モニター 要旨
2017年10月
要旨
多くの国々で格差が拡大し、経済の成長が緩慢であったことにより、包摂的な経済成長を支える政策に注目が集まった。市場経済システムの下では、ある程度の格差は不可避であるが、過剰なまでに深刻化した格差は社会の一体性を損ない、政治の二極化につながり、究極的には経済成長を押し下げる可能性がある。今号の財政モニターでは、富の再分配の目標を達成する上で、財政政策にどのような貢献ができるかについて取り上げる。今回は、その中でも、活発に議論が交わされている3つの政策分野、すなわち、所得階層最上位に対する限界税率、ユニバーサル・ベーシックインカム (UBI、全国民向け最低生活保障) の導入、教育と保健医療への公共支出が果たす役割に焦点をあてる。
格差と経済成長。そして、財政政策による富の再分配
国境を考慮せずに世界人口全体の格差を測定し、世界の不平等性を計算すると、世界の不平等性はここ数十年で是正されてきている。その背景には、中国やインドといった新興市場大国での力強い所得の伸びがある。しかし、国内格差に視線を向けると、状況は各地で異なっている。先進国・地域の多くでは国内格差が拡大している。その一方で、先進国以外での傾向にはいっそうのばらつきがある。事実、データが入手できた国々の半数近くで格差が縮小してきている。格差が拡大する背景にある要因も時期や地域によって様々である。これまでに格差が深刻化してきた主な原因としては、技術変化によって、より習熟度の高い技能が求められるようになってきたことが挙げられる。
経済成長は不可欠である。多くの国々で、経済成長の結果、格差が拡大している環境下でも、所得分布表上のどの階層の世帯についても生活水準が向上してきており、格差拡大と生活水準の向上が両立してきた。しかし、経済成長がどれほど包摂的であったかについては、国ごとに大きな違いが見られる。各国の状況の多様性と、実証的分析の結果を踏まえると、経済成長を促進することと格差を縮小することとの間には、トレードオフが系統的には存在しない、つまり、両者は矛盾しないだろうということが読み取れる。
経済状態が異なる国家グループ間で、また時期によって、格差の状態が異なることの背景には、所得を再分配する財政政策の違いが大きく影響している可能性がある。先進国・地域では、直接税と所得移転が所得の不平等を平均で3分の1ほど解消しており、この格差解消効果の75%が所得移転によるものだ。発展途上国では、財政政策による所得再分配は、これと比較するとかなり限定的であり、税が軽く、歳出も少なく、それらの累進度も低い。同時に、発展途上国では逆進的な間接税への依存度が高い。
累進的な所得課税と所得移転
効率的な富の再分配を目的とした財政政策にとって、累進的な所得課税と所得移転が重要な構成要素である。所得分布の最上位層においては、所得水準に応じて増加する限界所得税率を用いることで、累進度をさらに高めることが可能になる。所得分布の最下位層については、様々な施策によって累進度を高められるが、今号の財政モニターでは、ユニバーサル・ベーシックインカム (UBI) にスポットライトをあてたい。
UBIとは、全国民に一律の所得移転を行うことであり、近年盛んに議論・提案されている上、いくつもの国で実験が行われている。概して、累進的な税と所得移転施策を適切な形で組合せるには、それぞれの国ごとの条件を踏まえなければならない。こうした条件の例としては、行政能力、既に施行されているセーフティネットの機能状態、足元の財政事情や社会的な選好などがある。
所得最上位層での累進性
限界税率や平均税率は、所得額に応じて税率にどのくらいの差をつけるべきか。最適課税理論は、所得の最上位層に課す限界税率を現行よりも相当高めるよう示唆している。これまで、所得最上位層の限界税率は減少傾向にあった。累進性の低下は、累進性が経済成長にマイナスの影響を与える可能性があるという懸念に伴う反応であったのだろうか。実証分析による結果は、少なくとも累進性が過度でない水準にある限りは、こうした主張を支持していない。したがって、個人所得税の累進性が比較的低い先進国では、経済成長を妨げずに所得最上位層の限界税率を高められる余地があるかもしれない。また、様々な種類の富裕税も考慮可能である。新興市場国や低所得途上国は、累進的な支出を行うための財源を生み出せるよう、個人所得税の対象範囲を徐々に拡大し、そして、間接税を引き上げることに注力すべきである。間接税の例としては、物品税を贅沢品や負の外部性を発生させる消費財 (化石燃料エネルギーやアルコール、タバコ) に課したりすることが挙げられる。
利潤や利子、キャピタルゲインなど資本所得はどのように課税すべきか。労働所得と比較して、資本所得の分配はより不平等であり、ここ数十年で所得全体に占める割合が高まってきている。そして、労働所得よりも税率が低いことが多く、その税率が下がってきている。所得税制全体の累進性を保つためには、資本所得に十分な税を課さなければならない。その手段としては、人々が労働所得を資本所得として分類し直す動機がなくなるように手を打つことや、様々な種類の資本所得の取り扱いを統一していくことがあるだろう。多くの国々が脱税や租税回避の機会を抑制できるよう力をいれなければならない。不動産や土地に対する課税は、公正かつ効率性も高いが、十分に活用されていない。しかし、その実施には、とりわけ低所得途上国にあてはまるのだが、行政インフラに大きな投資が必要になってしまう可能性がある。
所得最下位層での累進性
学界や政策担当者の間で、そして世間で交わされている議論を見ても、UBIに対する注目度が高まっており、いくつもの国で様々な形の実験が行われている。全ての子どもを対象にした児童手当や、社会年金など、既にUBIの要素を部分的に取り入れている国もある。しかし、国民全体を対象にしたUBIを導入した国はまだ存在しない。UBIの賛同者は、貧困と格差対策を行う上で、資力調査を伴う施策よりもUBIの方が効果的だと主張している。その理由として、情報入手上の制約や、高い行政経費、さらには社会的なスティグマも含めた障害があるが、こうした阻害要因が手当ての受け取りを限定的にしてしまうのだ。一方で、UBIを用いることで、自動化を中心とした職場の技術変化がもたらす影響に伴う所得減少や不確実性に対処できると主張する人々もいる。また、構造改革を支える手段としても支持されている。UBIへの反対意見としては、全国民を対象にすることで、結果的に、手当てが不要な高所得者層にも漏れ流れてしまうことが強調されている。UBIに伴う大きな財政コストも、UBIが資金面で現実的なものなのか、不安の目で見られる原因となっている。さらには、包摂的な成長を促進する他の優先度がさらに高い支出がUBIに伴って困難になってしまうリスクも懸念の対象となっている。加えて、UBIに反対する声は、労働市場への参加と所得が切り離されてしまうことも問題視している。
UBI導入を肯定する理由とは何であろうか。どのような条件下で、UBIは望ましいのであろうか。また、その資金はどのように賄えば良いのだろうか。それとも、政府は人々の資力調査に基づいて所得移転を行う行政能力を強化することに注力すべきなのだろうか。UBIが既存の社会福祉制度の良い代替となるかどうかは、UBIがうまく機能するかどうかに左右されるだろうし、さらには政府が社会保障の対象絞り込みをどの程度行えるのか、その能力をどれほど強化できそうなのかにもかかってくるだろう。
開発途上国では、現行の社会福祉制度が充実していない可能性が高く、低所得者層を対象とした制度が非常に手薄であると推測されるが、そうした国々では、政府が短期間にセーフティネットを強化したい場合に、UBIが選択肢となるかもしれない。しかし、UBIを効果的なものとし、財政の持続性を保つためには、こうした拡張を賄うために、効率的かつ公平な形で増税を行うか、支出削減を行って財源が捻出されなければならない。たとえば、燃料や食品などに対する一律の補助金の廃止や、負の外部性がある消費への課税を含む消費課税ベースの拡大が必要となるだろう。歳入を確保する能力が限定的であることが、国民全員を対象としたセーフティネットを構築する上で足かせとなる重要な要素になりうる。
一方で、幅広い人々を対象にした社会福祉が充実しており、累進性もすでに高い制度の下では、既存の制度の代わりにUBIを導入することにより、多くの低所得世帯に対する給付が大きく減ることになるだろう。先進国ではこういった事態が発生しそうである。したがって、既存の社会福祉制度のさらなる強化に注力することが望ましい。例えば、ソーシャルセーフティネットから適格条件を理由にこぼれ落ちてしまっていたり、給付の受け取りが不完全だったりする場合には、その穴を埋めるように、直接的に問題に対処することができる。また、低所得労働者を対象とした賃金助成制度を適切に設計することで、働く意欲を持たせることが可能だ。したがって、こうした状況下でのUBIの導入は、その他の要因から動機付けされているべきだろう。例えば、技術変化と自動化が急速に進み職を失う不安が高まる環境下では、所得保険の強化が動機となりうる。また、食料や燃料の補助金を撤廃したり、消費税の課税ベースを拡大したりといった構造改革を行う上で、世論の支持や政治的な支援を取り付けるためにUBIが導入されるといったことなどが考えられる。
UBIの財政コストは、そのUBI支給額の水準に左右されるだろう。説明のために、1人あたりの国民所得を基準とし、その中央値の25%をUBIの支給額だと設定すると、財政コストは先進国でGDPの約6−7%、新興市場国と発展途上国ではGDPの約3−4%となるだろう。格差への影響は大きく、財源調達の影響を考慮に入れなければ、格差の尺度のひとつであるジニ係数で見て、平均で5ポイント減少する。また、新興市場国と発展途上国で貧困を削減する効果も大きい。しかし、UBIが最終的に正味の再分配効果をどの程度もたらすかは、その財源をどう捻出するかに左右される。この財政モニターでは、説明のため国々の事例を用いて、UBIを分析した。人々の行動面での反応や資金の調達方法、公平さと効率性のトレードオフなどを考慮に入れるために、マイクロシミュレーション法と一般均衡モデルを活用している。
教育と保健医療での格差対策
教育と保健医療への投資は、中期的に所得格差の是正に貢献し、世代間の貧困の連鎖に対処する上で有効である。さらには、社会的流動性を強化し、究極的には、経済が包摂的かつ持続的に成長するよう働きかける力を持つ。しかし、いまだに多くの国々で、教育や保健医療サービスに大きな格差が存在している。これらの分野における格差解消は、男女格差や地域間格差など、その他の分野での不平等に対処する上でも、力になるだろう。
教育分野では進展があったが、発展途上国全体を見渡すとそのほとんどの場所で、依然として社会経済集団間に、かなり大きな通学率の格差が残っている。全世界的に、社会経済的に恵まれない家庭からの児童・生徒は、教育制度内で学習している場合でも、経済的により恵まれた環境の児童・生徒に比べて、実際には大きく見劣りがする学習成果しか出せていない。その背景には、教育環境の質が良くないことがある。
多くの国で、健康状態の格差が縮まる気配を見せていない。先進国について、高等教育を受けた男性と中等教育以下の教育しか受けてない男性の間の平均寿命を比較すると、国によって4年から14年まで格差が存在しており、中にはその格差が拡大している国もある。人口を社会経済的に区分して、その上位40%と下位40%の乳幼児死亡率を比較すると、新興市場国と発展途上国の約半数でその格差が拡大している。この背景には主に、恵まれない乳幼児の死亡率の改善が遅いことがある。健康保険対象範囲の拡大が達成されたことによって、健康状態の改善が見られてきたが、新興市場国の一部と多くの低所得国では依然として著しい格差が残っている。また、健康状態が保険医療制度以外の要素によって決定される傾向が高まっている。例えば、栄養や教育、健康的な生活スタイルであるが、これは特に先進国で顕著である。
政府が残存する格差に対処するには、質の高い教育と保健医療を受けられる機会を拡大できるよう、恵まれない人々にさらに狙いを定めた形で公共支出を行う必要がある。それが実現すれば、全体的な効率性も高まるだろう。